義理の母の日にティーポットと紅茶を贈ろうと思っていた。義父がさいきんコーヒーではなく紅茶を所望するがティーポットはないとのことだったからだ。
私はめっきりコーヒー派である
地元のデパートを維持したいためささやかな応援のつもりで丸井今井から送ろうと思っていた。地下駐車場に停めて、事前にネットで見てちょうど良さそうなポットはないとわかっていたルピシアにまず寄ってしまう。これが間違いだった。
ルピシアの接客は攻めの接客だ。デカフェサクランボの試飲を持って近づいてくる。受け取ってしまう。すると店内に滞留せざるを得なくなる。頃合いを見計らって店員さんが話しかけてくる。次々と勧めてくる。私の話に傾聴するというよりは、自分の中のおすすめ製品を提示し続ける。ハンディクーラーは大小ともにうちにあるから説明を聞かずともよく知ってるよ、という情報を与える隙がない。モンポットを勧められたときはかろうじて「持ってたけど割った」ことを伝えられた。そこで気付いてほしい、モンポットなんか買う客はルピシアが結構好きだ、ハンディクーラーなんか福袋で余るほど持ってる可能性に気付いてほしい。あああああ。もうだめだ。流されてしまう。思考停止に陥りほぼ言われるがままに買ってしまった。
店員さんの一生懸命さは伝わってきた。その一生懸命にこたえようとして勧められるものを買ってしまう。しかしこうした成功体験を与えてしまうのはこの店員さんの為にはならない。押しに弱い客が買うだけだからだ。客に多く問いかけをし客の持っている背景や知識を見極めて適切な接客をする、というところには辿り着かないだろう。
結局、敗北感のみを残し、決して安くはない買い物をした。
後悔している点はたくさんある。
- ルピシアならエスタで買ってJRタワーの累積買い物額に加算したかった
- だいたい先日ルピシアのグランマルシェがあったばかりで、そこで全品10%引きで買えたものをなぜ定価で買ってしまったのか
- 丸井今井支援の思い、達成できず
- ティーポットがないと言っている相手にハンディクーラー。ハンディクーラーはクーラーと名のつく通り元々アイスティー向け製品だ。ホットでも使えるが、ポットではない
- ルピシアとがっつりロゴが入って絵が描いてあり、相手の好み無視ではないか
- ハリオの茶々急須のような、どこでもパーツまで入手できそうな気軽さと好みに左右されないシンプルさを考えていたのに
ほんと、なんでここまで思うのにルピシアで今回の買い物をしてしまったのか。このひたすら押しに弱く流されてしまうのはなんなのか。結局のところ自分がないのだ。人に嫌われるのを極端に恐れているのだ。コンディションが一気に低下して、かなり鬱である。この程度の出来事で鬱になること自体がどうかしている。けどこういうときにどうすればよいのかわからなくなるし、どうしようもない、とひたすらに思ってしまうのだった。